夕凪の街 桜の国を読んだとき、ずっと抱えていたものはこれだったのかもしれない、という想念が浮かんだ。はだしのゲンのように直接的ではなく、それでも確実に広島に生まれ育った者たちに続いている、原爆の影。
私の祖母は被爆者だ。私の父は被爆2世の中に入っていないらしいが(定義があるのだ)、私の遠い遺伝子は放射能を浴びたのだと思うと、定期健診のレントゲンでさえ気分が悪くなってしまう。広島で受けた平和教育を、心的外傷として捉えてしまうのは、そのせいかもしれない。毎年繰り返される生々しさと奪われた痛みは、ハンカチ1枚分の涙では癒しきれなかった。
朝鮮脱出やひめゆりの塔などのバリエーションもあったが、基本的には平和教育=原爆の話であった。
特に高校時代は大勢で資料館に連れて行かれ、原爆をテーマにした絵画展を見た後資料館を回り、語り部の話を聞きながら慰霊碑をめぐるという、修学旅行生並みのスケジュールであった。最も私は絵画を見たとたんにめまいを起こし、資料館の仮眠室で眠り続けていたが。
そんなていたらくなので、私は『黒い雨』も『はだしのゲン』も読んだことがない。昨日の『火垂るの墓』も見ていない。(あれは神戸の話だが、メディア論の講義でうっかり東京大空襲について学んでしまったので、これ以上傷を増やしたくなかったのだ。)
こんな私が、夕凪の街 桜の国を読んでみたいと思ったのは、現代が舞台になっているからだった。原爆を扱えるのはせいぜい「戦後」までだと思い込んでいたので、21世紀と原爆をどう結びつけたのか知りたかったのだ。
感想はいわない。年齢設定に関して、私がちょいとばかり無知だったことがわかっただけだ。これは各人が読んで、その胸の内で抱えておく形の漫画だと思っている。
作者も戦後の人である。それも親戚に被爆者はなく、本人も「原爆」に関することを避け続けた人だった。担当者が持ちかけなければ、いや、目を閉じて知らない振りをしていれば、作者はきっと一生「原爆」に触れることはなかっただろう。
けれども、作者はそれを無責任で不自然だと感じていた。広島と長崎以外の人間は、原爆について本当に何も知らないのだということも気がついていた。
遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。(あとがきより抜粋)
広島だけでなく、全世界の人が身をつまされる言葉ではないだろうか。なにも原爆だけが太平洋戦争の「事件」だったわけではない。東京大空襲もそうだろうし、他の地域には他の地域として、語り継いできた戦争秘話があることも私は講義で知った。しかも当人らはそれが「一般常識」だと思っているらしいのだ。もったいないことじゃないだろうか。
誰もが聞いたことのある、読んだことのある戦争の話を集めて、ひとつにまとめられたなら、それは非常に貴重な作品となり史料となるだろう。こういうことにこそ国の図書館は尽力してほしいのだが、どうか。(2005.8.6)
夕凪の街 桜の国を読んだとき、8月6日にはどうしてもこれを書かなければならないと思いました。相変わらず見切り発車で、初稿はどうしようもなくどろどろしていたので、フリーズして全部消えてしまってよかったと思っています。
ちなみに夕凪の街 桜の国の註で、今も昔も広島人はカープを愛しているとありますが、あれは本当です。もっとも濃度差があって、私のように選手なんか全然知らんぜという人から、巨人ファンと激しく口論する女子大生まで(私の友人です)いろいろいます。子どもにも熱烈なカープファンがいたりするので、他球団(特に巨人)ファンだと告げるのには注意が必要です。(2006.8.6)
2006年08月07日
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せめて今日くらいは 2006年8月6日
Excerpt: ちょうど1年前の2005年8月6日にこのブログで 「せめて今日くらいは」という記事を書きました。 私の気持ちは1年前と同じです。 *被爆写真
Weblog: 為替王
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